<aside> <img src="/icons/chat_gray.svg" alt="/icons/chat_gray.svg" width="40px" /> (2014.12.12のツイートより)
</aside>
すべてを失ったとあるやつれた若い女が世界に抱いた、漠然とした殺意がすべての始まりだったのかもしれない。あるいは、ちょうど同じ頃に世界の鬱屈した思念が異世界を形成しつつあったのが始まりだったのかもしれない。災厄が吹き込まれて限界まで膨らんだ異世界の、噴出点ががちょうどその女だった。
ファーストアノマリアス。
女を母体として溢れ出した災厄のような異世界の粒子は、母体すら食い破って化物に変えながらあるべき世界を塗り潰そうとした。
ただ幸運だったのは、女の価値観をベースにして溢れ出した災厄の粒子は、人間を「世界の要素として些末」と捉えていたことだ。きっと宿主の選択を間違えたのだろう。自己否定的な女から生まれ出た災厄の粒子は、あろうことか世界だけでなく災厄の粒子そのものを喰らうことで成長した。
世界を喰らった災厄が、災厄を喰らうことで成長し更なる世界を喰らう。無数の共喰らいの粒子は五つの異形に成り果てた。無数が五つに分かたれたところで、その力はおおよそ均衡した。一定の世界を喰らい知能を得ていた彼らは、共喰いで更なる力を得るために争いを始める。
ところが、一つが殺された時に状況は一変する。既に四つの異形は成長の限界値を迎えており、共喰らいを受け付けなかったのだ。
四つの異形は互いを嫌い、災厄の母となった女も全てを放任していたためそれぞれどこかへ散っていくことになる。ある者は病として、ある者は碑として、ある者は化物として、……ある者は人として世界の中に存在した。この時は、災厄としての発展の道は閉ざされたように思われた。
ところでこの時、人として母たる女の元に残ろうとした異形がいた。
幼い思考を持つこの異形は人間であるその女を母親であると認識して慕い、人間の形をとる練習を続けながら人間としての生活を教わりたがった。やつれた女は最初こそ邪険に扱ったが、少しずつ自信を取り戻していく。
放たれた一つの異形が「繁殖」という発想に行き着くのは、また、人間として母とともに生きることにした異形が恋をして親になるのはもう少し先だ。セカンドアノマリアス。「エイラ」の物語は、新たな宿主が災厄を撒き散らした後のことになる。